産直活動の始まりから、未来へ 志を継ぐ ー1970年代ー

社会的な運動として続けることが大事

1970年、宮城県民生協の職員が角田市農協を訪れた。「産直で提携しませんか」。申し出たのは内舘晟さん(みやぎ生協元専務理事)。その話に耳を傾けたのは、窪田立士(旧仙南加工連元常務理事)や佐藤善雄さんら農協の職員。長いつきあいがそこから始まった。産直とは何か、何をめざすのか。誰もまだ明解な答えを持っていなかったが、提携の方法、安全性の基準、生産者と組合員の交流。さまざまな産直のしくみが、生協・農協のリーダー、勇気ある生産者たちによって築き上げられていった。

第1回
経済的メリットよりも大切なことがある

佐藤 善雄さん

旧仙南加工連元常務理事
佐藤 善雄さん

農協で設立した仙南加工連
当時の責任者

菊地 一郎さん

旧角田市農協元生産部長
菊地 一郎さん

在任中は産直品の育ての親的存在。
後に、仙南加工連の部長を務めた。

佐藤

 1970年のある日、内舘さんと南公男さんともう一人生協の職員が、角田市農協の生産部を訪ねてこられて、「産直で提携しましょう」と声をかけてくださった。それが産直のはじまりです。

菊地(一)

 「産直」のことを最初に言い始めたのは東北大学の吉田寛一先生なんだ。先生はそのころ角田市の長期計画を作成中で、農協の将来像を示した中に「産直」という文字を入れている。
 吉田先生は、県民生協の設立にもかかわっていて、その関係で、内舘さんが角田市農協を訪ねてこられた。
 農協側もちょうど、生産部長だった窪田さんが中心になって、農産物販売の一環として産直を始めようとしていたときでね、生協は新しい販路として捉えていた。

窪田立士さん(旧仙南加工連元常務理事)

窪田立士さん
(旧仙南加工連元常務理事)

吉田寛一先生

吉田寛一先生

佐藤

 そう、いい販売先がひとつ増えたぐらいの感覚でね。
 しかも直接取り引きなので、市場に手数料を払う必要がない。運送用資材も、市場に出荷する場合はそのつど新しいモノを用意するが、生協と提携すれば、くり返し使える。中間経費削減と新しい販路開拓。最初のきっかけは、そんな感じだったんです。
 ところが産直を進めていくと、組合員さんがひんぱんに角田に来る。産地を見学したり、生産者と話し合ったり、農協の職員とも親しく会話を交わすようになる。生協職員と農協職員のあいだの距離が近くなる。
 当時、産直をやる農協が全国にひろがっていて、どこもかしこも経済的なメリットだけに捉われていたが、私たちは地道に組合員間の心の交流を積み重ねていた。そうこうするうち、経済的メリットだけを求めた産直活動は、ほとんど消えていった。
 それで、気付いたんです。事業だけを見た産直、つまり経済効果だけを求める産直は、みんなダメになる。産直は、心の交流が大切なんだ。心の交流をベースに生協と農協が同じ考えを持ち、社会的な運動として取り組んでいくべきものなんだ。それが産直を長く続けていくための必須条件なんだ、と。

内舘晟さん(みやぎ生協元専務理事)

内舘晟さん
(みやぎ生協元専務理事)

(続きます)

目次

第1回
経済的メリットよりも大切なことがある
第2回
要望に応えてくれた生産者たち
第3回
梅干しを産直品として育てよう
第4回
抗生物質と薬が頼みの養豚に疑問
第5回
生産者の生活が成り立つ価格を
第6回
自分の子どもに食べさせられる鶏肉をつくる
第7回
農家の経営安定に貢献した仙南加工連
第8回
交流の中で安全性を高める方法を
ページの先頭へ