産直活動の始まりから、未来へ 志を継ぐ ー1990年代ー

産直品の競争力を高めよう

90年代は、産直が事業面でもまた運動面でも大きな変化を求められた時代だった。米不足が食料供給の根幹をゆるがす一方で、それを乗り越えようとする努力が産直で築いた互いの信頼を、より堅固なものにした。水産産直が始まり、産直品のすそ野を拡大した。生協のネットワークが県内すみずみにひろがり、県民の消費を支える社会的責務は、一層重みを増した。しかし気付けば産直は、生協や提携農協の専売特許ではなくなり、新しい競争環境下へ突入していた。いま何をすべきか。関わる者すべてが問われたのだった。

第1回
小売業界の「異端」が、「主流」になった時代

伊藤 勝巳さん

店舗運営本部第1ブロック長
伊藤 勝巳さん

みやぎ生協商品部の2代目産直担当。米も兼任していた。
93年の米パニックでは米の安定供給に大奮闘した。

齋藤 清治さん

南三県店舗事業統一化
生協共立社担当部長
齋藤 清治さん

みやぎ生協水産部門統括、店舗部長・生鮮部長・産直推進本部長を歴任。
産直の発展に尽力した。

伊藤

 かつて内舘晟さん(みやぎ生協元専務理事)が、みやぎ生協について「成長しつつある異端」と評したことがある。

齋藤

 成長する異端?

伊藤

 みやぎ生協という協同組合は小売業界の異端である、と。70年代、80年代は、その異端が宮城県でぐいぐいと伸びつつある時代なんだ、とそんな趣旨だった。
 一方、90年代はそれまで小売業界の傍流にいたみやぎ生協が、主流におどり出た時代だと思う。
 93年の米パニックは、それを象徴するような出来事だった。
 みやぎ生協は当時、米市場で10数パーセントのシェアを持っていた。県内の小売業者のなかでは最大の供給量で、当然消費者はみやぎ生協の供給力に期待する。米を安定供給してほしいという要望が日に日に高まる。マスコミも取材に来る。「みやぎ生協さん、シェア一番ですよね」と言ってくる。言外に"シェア1番としてのみやぎ生協の使命"という意味を込めているんだ。
 そのときは、無我夢中で米の確保に走り回っていたから、よく把握できていなかったんだけど、事態が収束したときに心底実感した。
 「宮城県民に米を届けるという責任の一番大きな部分を、みやぎ生協が担っていたんだ」って。
 みやぎ生協は、「品質・味・安全安心」を重視しているけれど、それだけじゃない。「安定供給」という大きな責任も担っているんだと強く印象づけられた出来事だった。

冷害のため実の入っていない稲穂

冷害のため実の入っていない稲穂

93年の米パニックの際、生産者は自家用の飯米をも生協に出荷してくれた

93年の米パニックの際、
生産者は自家用の飯米をも生協に出荷してくれた

(続きます)

目次

第1回
小売業界の「異端」が、「主流」になった時代
第2回
一段高い協同組合間協同
第3回
産直の理念のもと新しい仲間が増えた
第4回
流通の調整機能を果たす役目
第5回
水産県宮城の水産産直
第6回
産直品の基準を取り入れた県の認証制度
第7回
さまざまな問題が噴出した90年代後半
第8回
新しい競合の時代に求められる本当の競争力
ページの先頭へ