



みやぎ生協専務理事
荻原多加資さん
2000年から専務理事、産直推進本部を立ち上げた。
全国にさきがけて生産データ追跡システム、コープ記帳システムを導入。
産直の信頼性を保証するしくみを確立した。
店舗商品本部畜産部門
統括マネージャー
小野勝一郎さん
三代目の産直担当で、産直推進本部の初代事務局長。
産直の原点回帰と"売れる産直品"づくりをめざし、旬菜市場の立ち上げに尽力した。
産直推進本部をつくったのは2000年。未来プロジェクトを踏まえての結論だったんだけど、そこに至るまでには紆余曲折があった。
未来プロジェクト発足の遠因を考えると、93年の米パニックにたどりつくような気がします。どんな理由があろうと、米不足なんてあってはならないことで、本当に大変な出来事だった。そこで米パニックを教訓に生産者に米の増産を呼びかけ、産地も拡大した。
ところが95年、96年は豊作で、一転して米余り。売れなくなった。サービスの組み方を工夫したりして何とか売り切ったのですが、一方で加算金を下げる話が出ていたんです。そのため生産者ともめることが多くなって…。
生産者の数も増えていたから、扱う量も多かった。
そうですね。95年頃は、65,000俵ぐらいになっていましたから。それで「米を増産してほしいと言ったのに、売れなくなると加算金を下げるなんて…」と生産者から反発が出たんです。
そうこうするうちに98年産米は、また不作で三等米が大量に出た。聞けば「三等米は政府米として安く買い叩かれるのだ」と言う。当然生産者の年収もダウンする。そこで、三等米も生協で引き受けようと米委員会で検討を始めた。目隠し試食をしたら、「一頭米などと食味はあまり変わりない」との結果が出たので、ならば政府の買い上げ価格よりは高く、加算金1,000円出しても生協としては安く売れると思ったんです。そういう中で、98年産米は生産者や米産直委員会がお奨め活動を一生懸命実施し、すべて売りきることができました。
どんな売り方をしたの?
「ぼくも産直米」というネーミングで5キロ2,000円ぐらいで売りました。当時一等米5キロは2,700円ぐらいでしたから、半年かからないで売り切れました。組合員からは、「ぼくも産直米」はもうないんですか、という問合せがくる。そこで米の作付け委員会の際に、「来年もあの三等米もう一度作ってください」って(笑)。当然「それはできねぇ」と(笑)。そういう笑い話もありましたが、90年代後半は、米だけじゃなく、畜産でも農産でも加算金や価格などの問題で、生産者との関係がゆれた時代でした。
(続きます)